いつの時代でも私たちは健康な、絆のある生活を希望してきたと思います。
振り返ってみると、古代では、自然の変化を神の意志と考え、神の怒りに触れないように生活し、祈っていたようです。力、武力により、近隣の食べ物や財産を略奪する強さが称えられた時代もありました。安定、安心を願う人々の気持ちを利用し、王の子は王になる、という柔軟性を欠き進歩を阻止する体制もありました。世界に進出し、各地の産物や資産を独占しようということも行われてきました。私たちの歴史はいろんな価値観、主義、主張を経験しました。それは其の時点、其の場所で有効性を発揮できたものと思われます。

一方、変化を止めない歴史の中では、その有効性だけでは永遠に対応できることはないのが事実でしょう。ひとつの原則だけを時代に押し付けるとストレスが生じることになると考えられます。歴史は常に自分を生み出したものが、次の時代にはストレッサーになってしまうことを示しています。しかし、このことを自覚するのは難しいようです。

20世紀は侵略・進出・支配がくり返され、争いの世紀でした。同時に裏文化として刹那的な喜びが提供されました。でもそれは病的な側面も併せ持ったようです。
私たちは随分反省する経験を経て来ました。だとすれば21世紀にどんな時代を期待するかを考える時、奪い合いとは違う関係を作り出すことが大切になるでしょう。 その関係とは共生に他ならないと思います。ある生き物が死ぬという事は、他の生物の誕生や繁殖に貢献していることになります。ビオ・トープと云う考え方、国土草木悉皆成仏と云う考え方は、洋の東西を問わず一切の生き物は繋がっていると云う考え方です。
考えはグローバルに、行動は足元から、というのが私たちの活動の基本になります。

昨年(H24)の11月20日に新釧路川の河口から10㎞程上流にある「さけ・ます増殖事業協会」が運営している捕獲場に行ってみました。その日は24年度の採捕事業の最終日になるので、秋サケの回帰数等、情況を聞きたいと出掛けた訳です。 新聞等では回帰率は前年比で相当悪い30%減だと報じられていました。
捕獲場に着いて〝これは、これは〟と驚いた。 場所は釧路湿原の中だから水が多い事はそうなのだけど、普段ならば車を乗り入れる事が出来る設備なのに、通じる道路が冠水していました。捕獲場の施設ももちろん水浸しになっていて、捕獲場で働いているはずの人影も見えません。
2011年の11月に〝子供さかな博士養成講座〟の一巻として、鶴居にあるふ化場に30名程で見学に行きました。 この年は5月から続いた長雨のせいで 、新釧路川は水かさが増しウライの設置作業は危険が伴う、ということで、見送られていました。 ウライと云うのは川の中に鉄製のクシのようなものを沈め、鮭がのぼれないようにする、遡上阻止物です。これを雪裡川と新釧路川の合流点に設置しています。
回帰し、遡上して来る鮭をそれ以上の上流にのぼらせないようにし、ウライの所でたまった鮭を巻き網ですくい取って、増殖用に採卵するのです。

鶴居のふ化場は、この雪裡川の枝川のアシベツ川にあります。 毎年1,500万匹程の稚魚が、生まれたふ化場を後にし、アシベツ川、雪裡川、新釧路川、太平洋と成長の旅へと出発します。多くは4年後にこの川に回帰して来る習性を持ちます。
2011年は釧路川をのぼりたい鮭は、そのまま標茶、弟子屈、川湯に行けたはずです。 ところが、自分のふる里の嗅いを忘れていない鮭は、新釧路川を左折し、雪裡川に入って、雪裡川からアシベツ川を遡って行きました。そこには自分達が生まれ、半年ほどをすごした鶴居ふ化場があるのです。 何故、シグナルもない交差点を、確実に曲がって行けるのでしょうか。まっすぐに上流に行く方が簡単そうに思えるけれど、鮭の力、自然の力に改めて畏れ入る次第です。 故郷に回帰する鮭に備わっている自然の仕組・システムを考えてみると不思議と神秘を感じます。やはりそこには「種」として生き残り、繁殖を意図する生物の掟が働いているのでしょう。

釧路湿原が1987年に国立公園に制定されたのは、湿原と云うエリアで食物連鎖が完成していると認められたからです。 しかし、本来あるべき鮭の自然産卵がありません。鮭(特に白鮭)は産卵の後、オスもメスも生命の役割を一端終わります。その骸を他の生き物に提供します。鳥に、魚に、微生物に、植物にも栄養素を提供するのです。 3~5年後の長旅の果てに母川に回帰する循環性を持つ遡河性の魚のみならず全ての生き物(トラ・象・クジラ・熊・ミミズ等等)はこの循環性の中に存在しているのです。 自然豊かと云われている釧路湿原にこの循環性を再現しなければなりません。再現の妨げているのが閉門されている「岩保木水門」です。この門を開放し、市民が育てた鮭が湿原で自然を再生することに貢献できれば、生命のため、人の生活のための共生が地に足が着いた所で実現することになります。釧路の街の真ん中の川に流れが甦ります。

長寿国ならずとも健康は大切な人生の要因であることは共通のことです。健康は自分と環境の相互作用で実現してくることは言わずもがなのことでしょう。 21世紀に世界のモデルとして、未来に誇れる土地として、釧路市民の名の元に釧路川の再生、生命の連鎖の再生を実現しようではありませんか。
丸い地球のなかに健康都市「釧路」 ヒューマンランド「ホッカイドー」。 一匹の稚魚を育てることから始まります。
▲ by wakan55 | 2013-06-29 21:57